チュチェ思想研究

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チュチェ思想国際研究所ビシュワナス名誉理事長は、惜しくも、7年前、2014年2月11日に逝去されました。

チュチェ思想研究普及活動へのビシュワナス名誉理事長の熱い思いは、いまもなお私たちの心のなかに生き続けています。

ビシュワナス名誉理事長を偲んで執筆された、スレシュ・パタク・アジア・チュチェ思想研究所理事の寄稿文を紹介します。



チュチェ思想の体現者、ビシュワナス博士
スレシュ・P.パタク
アジア・チュチェ思想研究所理事
インド 金日成金正日主義研究会会長

わたしは、いま自分がやろうとしていることがかなり骨のおれることであることに気づき戦慄を覚えています。わたしがやろうとしていることは、その生涯は、一見平凡に見えながら、波乱万丈で、信じられないようなできごとでつづられている人について執筆するからです。ビシュワナス博士とは、そのような人でした。

ビシュワナス博士は、パンジャーブ州の小さな村落、ヒンドゥー教徒一家に生まれましたが、まばゆいばかりの高位にのぼりつめました。

ビシュワナス博士は、いわゆる権力者について記述する歴史書で名前をさがすことはできませんが、事実上、一国を強固にし繁栄させるという重要な役割をはたした、隠れた指導者であったといえるでしょう。

指導者たちのなかには、自己の役割をめだたない形ではたしている人たちがいますが、事実上、国の強化発展に寄与しているのです。われわれのビシュワナス博士は、自身の限られたやり方ではありましたが、きわめて多様な方法で、国の発展に寄与された方でした。

限られた紙面ですが自由に発言できるので、わたしは、ビシュワナス博士の業績のいくつかを紹介したいと思います。ただ、ビシュワナス博士自身について詳 しく知りたいと思っている方々には、インフン氏が執筆しハンチャンド氏によって英訳された書籍、『人生列車』(2014年発行)を紹介したいと思います。

ビシュワナス博士は、若いころ、自分の人生、自己の運命をきりひらくために、故郷を離れてデリーに移り住みました。なんの援助もないなかでも、困難な環境に自ら飛び込んでいくものでした。しかし、ビシュワナス博士は、自分自身と自己のたたかう気力を全的に信じていました。がむしゃらに進む若者たちのように、ビシュワナス博士もまた多くの困難さにぶつからざるをえませんでした。自分の持ち家があるわけではなく、十分な生活費ももってはいませんでしたが、前進しようとする決心だけは固く、自分自身への確信がありました。やがてソ連の外交官と出会う幸運に恵まれ、ソ連の紹介本を発行する機会を得ました。

ビシュワナス博士は独力でその仕事を請け負い、編集や校正、印刷までもおこないました。ビシュワナス博士はその誠実さと勤勉さで豊かな報酬をえるようになり、それ以降は、生活が上向いていきました。ビシュワナス博士はまた、秀でた執筆家であり、文筆活動により名声を博しました。やがて、ビシュワナス博士は、朝鮮問題への理解を深める機会を得、その過程で、金日成主席が導く朝鮮人民の英雄的な抗日闘争や反米闘争に深く感動し、感銘を受けるようになりました。こうして、ビシュワナス博士は、 金日成主席を敬愛するようになったのです。

ピョンヤンにおける 金日成主席生誕100周年記念行事参加者と団らんする ビシュワナス・チュチェ思想国際研究所理事長(当時)(左から7番目)、 執筆者スレシュ・パタク教授(右端)

ビシュワナス博士は 金日成主席を知れば知るほど主席に魅せられていきました。普通の人間が、なぜここまで驚嘆に値することをなしえるのだろうかと、なかなか信じることができませんでした。ビシュワナス博士はそこで、直観的ではありましたが、虚飾のない見解を『インディアン・プレス』に発表しました。それを読んだインドのインテリや思想家たちは、国土としては小さな国の指導者が日本や米国のような大国と想像を絶する抗争を展開したことに、感銘を受けました。

事実上、それは、「少年ダビデと巨人ゴリアテの戦い」を彷彿連想させるものでした。しかし、韓国の支配層は、ビシュワナス博士のとった行動に衝撃を受け、直観的にその強い発信力がインドのみならず世界に影響をおよぼしていくのではないかと人目にもついていない一学者を買収しようと策略したのです。

韓国の支配層は、袖の下を使おうと試みましたが、この偉大なチュチェの戦士は買収される人物ではありませんでした。インド駐在韓国大使館職員はすごすごと退散せざるを得ませんでした。これが、親愛なるビシュワナス博士の特性であり人間性でした。

ビシュワナス博士は、金日成主席と何回も会見する機会を得、謹んで心からの敬意を表しました。ビシュワナス博士は、自己の執筆文のなかで、金日成主席を「太陽」と呼んだことがありました。金日成主席を「太陽」に例えることは、あまりにも強烈で的を得ていたために、チュチェ思想研究者だけではなく、世界のインテリや作家までもが偉大な指導者の本質的な特徴を表現するものとして、「太陽」を用いるようになりました。

ささやかではありますが、これは、ビシュワナス博士のインテリ性をあますところなく伝えるものです。事実、ビシュワナス博士は、金日成主席がなしとげた偉大な業績やチュチェ哲学にあまりにも感銘を受け、「インドはわが故郷ではあるが、朝鮮はわが祖国である」と述べたことがありました。

ビシュワナス博士自身がチュチェ思想を体現していました。ビシュワナス博士は、チュチェ思想で生き、自分自身の言動においてチュチェ思想を体現していました。ビシュワナス博士は、チュチェ思想が多くの人々、一人ひとりによって実践されるならば世界は楽園となるであろう、なぜなら、チュチェ思想は、カースト、信条、性別、国籍に関係なく、一人ひとりの自主性を擁護し、国家のみならず一人ひとりの自主性が、世界平和の要となるからであると述べました。ビシュワナス博士は、チュチェ思想の世界的な普及に積極的にかかわりました。チュチェ思想国際研究所理事長として、ビシュワナス博士は、世界のほとんどの地域に足を運び、チュチェ思想を普及するために尽力しました。

チュチェの威光は、金日成主席の継承者を戴くなかで、そして、若き指導者、金正恩委員長の偉大な指導、慈愛深い指導のもとで、さらに輝いていくであろうと、わたしたちは確信しています。わたしたちは、永遠なる金日成主席や、チュチェ思想の深化発展としての先軍政治の提唱者、金正日総書記がいだいた夢を実現できると信じています。このような認識自体がビシュワナス博士の尽力によるものであると、わたしは考えております。