記事

チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する
―日本、北海道で開催された「金日成主席を回顧する集い」―


 今年(2019年)の7月8日、金日成主席が逝去されて25周年を迎えました。
 金日成主席はいまもなお、世界の人民の心のなかに生きつづけています。
 金日成主席逝去25周年にさいして、世界各地のチュチェ思想研究者や進歩的人士は、金日成主席が人類史に残した業績について言及し、自己の生活とたたかいに活かしていく決意を新たにしています。

 日本においては、7月13日から14日にかけて、金日成主席を回顧する集い実行委員会の主催による「金日成主席を回顧する集い」が北海道、網走において開かれました。日本各地からチュチェ思想研究者、アイヌ民族など、全国、各国から幅広い人々が参加しました。
 集いのはじめに、金日成主席を偲んで全員で黙とうしました。
 「金日成主席を回顧する集い」では、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長が「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する―金日成主席逝去25周年に際して―」と題して報告しました。また、民族色、地域色豊かな音楽公演がありました。
 14日は、「チュチェ偉業に関する講演会」が開催され、朝鮮大学校学長の韓東成氏が講演しました。
 講演後、全国各地から集まったチュチェ思想研究者は、網走にあるチュチェ思想国際研究所初代理事長の歌碑を訪ねました。

金日成主席を回顧する集い
 
 尾上健一チュチェ思想国際研究所事務局長はつぎのように報告しました。
 金日成主席は、朝鮮人民はいうまでもなく、世界の人々の心のなかに、わたしたちのなかに今も生きています
 金日成主席の思想も偉業も、主席に忠実に生きていこうとする人たちの手によって生き続けています。また主席の後継者が忠実にたたかうことによって、いまも主席がそのまま生きているかのように活動しています。
 「チュチェ偉業は燎原の火のように世界に拡がり勝利する」は、金日成主席が1975年4月、会見してくれた時に、わたしたちに話された言葉の一つです。金日成主席が亡くなって25年経ちましたが、その時言われたことが今も生命力をもち生き続けていることについて、歴史を追いながら見ていきます。
 金日成主席は、1912年4月15日に誕生し、1994年7月8日82歳で亡くなるまでの生涯を、祖国の独立と解放のため、自主性のためのたたかいに捧げられました。
 朝鮮民主主義人民共和国を創建し、民衆中心のチュチェの社会主義として強化発展させました。いま金正恩時代になり、はっきりとそれが世界の人たちに見えるようになってきました。
  金日成主席のたたかいの本質を一言でいうなら、それは自主性のためのたたかいであったといえます。自主性を失い、他人に隷属するようになっては、人間とはいえず、国とも民族ともいえません。
 金日成主席の生涯は、人民を愛し信頼し、人民に依拠し、人民の自主性を完全に実現するためにすべてをささげた人生であったといえます。世界の指導者のなかでも、主席ほどいつも人民のなかに入って人民と話し合いながら活動をおこなってきた指導者はいないのではないかと思います。
  1970年代初め、日本と世界の正しい進路を求めていた青年学生は、もっとも苦労している人々のなかにはいっていこうと、ハンセン病療養所の栗生楽泉園を訪ね、そこで二重、三重の差別をうけて困難な生活を強いられていた在日朝鮮人の黄那さんや金夏日さんたちと交流するなかで、南だけではなく、北の朝鮮民主主義人民共和国についても正しく知る必要があることを知りました。
  わたしたちは地方の総聯本部を訪ね、そこで渡された『金日成伝』を手にし、初めて朝鮮のことや、金日成主席が指導しているたたかいについて正しく認識することができるようになりました。
  1975年、金日成主席にはじめて会見した日本青年チュチェ思想研究連絡協議会の責任者に金日成主席は、つぎのように言って励ましてくださいました。
  「一点の火花が燎原の火となるように、チュチェ思想の火はいまは小さくても、チュチェ思想は正しいのだから、まもなく大きな炎となって燃え上がるでしょう。わたしもこの偉大な事業をいま始めたばかりですが、この誇らしい道のりをともに歩みましょう。こんご多くの困難があっても、たたかいは必ず勝利します」
 青年たちは、全国に移り住みながら、チュチェ思想を深く学習し、広範な人々のあいだに宣伝普及する活動を積極的におしすすめました。そして、1977年3月に、青年チュチェ思想研究会の全国組織化をなし遂げました。
  青年たちはチュチェ思想を深く理解し広めるために出版活動を重要視し、白峰社を設立しました。諏訪政博さんは白峰社に入社して以来、亡くなるまで一貫して活動をおこなってきました。わたしたちは諏訪さんを忘れないために網走の地に謄写版をもっているモニュメント「第一歩」を作りました。
 在日朝鮮人の金裕さんも忘れることのできない人です。金裕さんは、チュチェ思想を学習する施設である伊豆青年センターの建設や白峰社の設立などにさいして、わたしたちの活動を積極的に助けてくれました。わたしたちは金裕さんと強い絆を結びました。金裕さんは若くして亡くなりましたが、その心はわたしたちの心のなかで生き続けています。
 金日成主席の偉業を継承発展させる金正日総書記の思想と活動に学ぼうと1994年2月には、キムジョンイル著作研究会全国連絡協議会が大阪で結成されました。2014年2月には、金日成金正日主義研究全国連絡会が結成されました。
 そして、金日成金正日主義を定式化し、民衆第一主義をかかげてたたかう新しい指導者である金正恩委員長に学ぶため、金正恩著作研究会が、2017年12月、大阪で結成されました。
 チュチェ思想を学ぶ人たちは、日本のなかでもっとも苦労している人たちのために活動しなくてはならないと考え、医療施設、保育所や高齢者介護施設を作り運営してきました。
 世界におけるチュチェ思想研究活動は、1975年にペルーの首都リマで大陸規模のはじめてのチュチェ思想科学討論会がおこなわれ、1976年9月には、マダガスカルで、ディディエ・ラティラカ大統領の参加のもと、チュチェ思想国際討論会がおこなわれました。
  1978年4月9日、東京でチュチェ思想国際研究所が創立されました。チュチェ思想国際研究所初代理事長の重責を担ったのは、著名な国際法学者で原水爆禁止運動の先頭に立ってたたかった安井郁教授でした。
 安井郁教授は、自分が癌で余命わずかだということを知り、日朝社会科学者連帯委員会の活動から退き、金日成主席に最後のあいさつをするために、1977年9月、朝鮮を訪問しました。ところが、そのとき、チュチェ思想国際研究所を東京に置きたいという世界のチュチェ思想研究者の要求が提起されていました。
 安井郁教授は、金日成主席の会見を受ける日の朝、「一生かけて抱きつづけしこの夢をわが若きらに託し目守らむ」という短歌を詠んで、歌集『永劫の断片』の扉に書き記しました。若い人がいるから任せられる、理事長を引き受けるという決心が込められていました。
  チュチェ思想国際研究所の理事長は、安井郁教授につづき、オーストリアの国際法学者であるハンス・クレカツキー教授、立教大学の井上周八教授、インドのジャーナリストのビシュワナス博士が務め、現在はメキシコの学者で国会議員も歴任した、ラモン・ヒメネス・ロペス教授が務めています。
 今年2月には、メキシコの下院会館でチュチェ思想全国セミナーがおこなわれ、450名が参加しました。メキシコのチュチェ思想研究者は大衆のなかに入って人民に献身するMORENA(国家再生運動)のなかで積極的に活動し、多くの青年や女性たちが国会議員を担うなど、チュチェ思想を活かすために努力しています。
 今年の6月29日に、モンゴルのウランバートルで、アジア・チュチェ思想想研究所の理事会会議とセミナーがおこなわれました。
  金日成主席の崇高な思想、人民への思いは、世界の人々、チュチェ思想研究者におよんでおり、わたしたちの中に深く息づいています。
  わたしは、これまでに国際金日成賞、国際金正日賞など、さまざまな勲章を授与されました。これは、一個人にたいする配慮ではなく、金日成主席や   金正日総書記、金正恩委員長の日本と世界のチュチェ思想研究者への愛と信頼の現れに他なりません。
 いま世界の政治の流れを金正恩委員長が主導し、政治外交によって、平和的に問題を解決していくことが着実に進んでいくだろうと思います。
 金日成主席がきり拓いたチュチェ偉業は、金正日総書記によって引き継がれ金正恩委員長によって高い段階に発展し、燎原の火となって世界に拡がり、最終的勝利を迎えるでしょう。
 
 集いでは、参加者の交流がおこなわれました。
 朝鮮大学校の韓東成学長がはじめに、金日成主席は永遠にわれわれとともにいるということを心に刻み、チュチェ思想研究普及活動をますます発展させるために、邁進していく決意をともにしましょう、とあいさつしました。
 次に在日本朝鮮人総聯合会北海道本部の丁聖漢委員長が来賓あいさつを述べました。
 金日成主席が逝去され四半世紀の歳月が経ちましたが、金日成主席と金正日総書記の思想と業績は輝かしく継承発展し、朝鮮は人民の理想社会実現に邁進しています。
 金正恩委員長が一触即発の核戦争の危機からトランプ大統領が首脳会談を申し出てくる状況へと転換させた現実は、金日成主席がきり拓いた自主路線貫徹の勝利といえます。
  つづいてモンゴル、中国、ブルガリアからの参加者から、それぞれの民族の歌や詩が披露されました。またアイヌ民族によるムックリの演奏や、沖縄民謡や朝鮮歌謡も披露されました。
  アイヌ民族の石井ポンペ氏は演奏に先立ち、金日成主席逝去25周年を記念する集いが、この北海道、網走でおこなわれたことは、非常に意義深いことであると述べました。
  集い最後には、沖縄、静岡、長野など、参加者からの発言がありました。
 モンゴルから日本に留学しているスフバートル・モロム氏は、日本においてチュチェ思想研究普及活動がどのように始まり広がっていったのかを知れてよかった、また、国際的にもチュチェ思想が認められていることを知り、大変うれしく思う、自国と世界の自主化のためにチュチェ思想を深く学んでいきたいと抱負を語りました。
  「金日成主席を回顧する集い」は、チュチェ偉業はかならず勝利するという確信を抱かせるものとなりました。
 
チュチェ偉業に関する講演会
 
 7月14日、網走市で開かれた「チュチェ偉業に関する講演会」には、全国各地のチュチェ思想研究者が参加しました。
 チュチェ思想国際研究所理事である朝鮮大学校の韓東成学長が「朝鮮半島の自主化とチュチェ思想」と題して講演しました。講演は「朝米板門店対面と世界の自主化理論」「チュチェ思想と朝鮮における具現」の2つの内容で構成されていました。
  「金日成主席を回顧する集い」に参加し、日本のチュチェ思想普及活動の歴史を聞き、朝鮮大学校で哲学を専攻して以来、ともに活動してきたことを感慨深く思い起こしました。
 いま、朝鮮ならびに、チュチェ思想の国際的な影響力がかつてなく高まっています。板門店で第3回朝米首脳会談がおこなわれましたが、朝鮮半島の自主化のための大きなきっかけをつくったと思います。
 ハノイ会談のあと金正恩委員長は、制裁の突風を自力更生の熱風で粉砕すると宣言しました。また、周辺国であるロシアや中国との首脳外交を積極的におこないました。さらに、トランプ大統領との信頼関係を築くなかで、板門店での対面を果たしたと思います。歴史が政治家の決断で、一気に進むことを示したともいえます。
 朝鮮は今回、憲法を改正し、金日成金正日主義を指導思想として明記しました。
 「すべてを人民のために、すべてを人民大衆に依拠して!」のスローガンには、全党に人民にたいする愛と信頼の精神が満ちあふれるようにしようとする党の意思が込められています。また「人民大衆にたいする滅私奉仕は、朝鮮労働党の存在方式であり不敗の力の源泉である」と強調しています。
 学長はまた、金正恩委員長が人民のなかに深く入って活動している様子について具体的に紹介しました。
  講演後、会場からの発言がありました。
  また、ブルガリアからきて日本の大学で学んでいる留学生が、ブルガリアの歴史について紹介しました。
  講演会は、金日成金正日主義を貫き、人民大衆第一主義を実践する金正恩委員長の指導とその活動について理解する意義ある集まりとなりました。
  
 
安井郁初代理事長の歌碑を訪ねる
 
  14日午後は、全国各地から参加したチュチェ思想研究者が、チュチェ思想国際研究所初代理事長である安井郁教授の歌碑を訪れました。
  アイヌ民族の石井ポンぺ氏らが、アイヌの伝統的儀式である、イチャルバ(供養)をおこないました。
 参加者たちは、世界の平和と自主化の実現のためにチュチェ思想を研究普及する事業を後代に託した安井郁教授の志を受け継ぎ、いっそう活動を積極的におしすすめていく決意をかためました。